Vol.0【拝啓、10代の僕へ】
※この記事は今日からみやもと個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。
何かに本気になれる、
何かの目標や夢に向かって真剣になれるって、
「なかなかの才能だな」と、つくづく思う。
アサノちゃんのブログを読んで、
「僕は、どこまで自分の夢に真剣だっただろうか?」と考えた。
結論としては、
「真剣だったが、本気にはなれていなかったかもしれない」だ……
「自分が思い描いていたような売れ方はもうできない」
『いつか売れると信じてた』
「浅草キッド」の歌詞のように、そう信じていた自分はいまだに居るし、現在進行形で存在している。
しかしどこかで、
「自分が思い描いていたような売れ方はもうできないな」と気付いている。
なんとも厄介な性格だ。
アサノちゃんのように、過去を黒歴史としてブログのネタにできるような心の強さは持っていない。
アサノちゃんが心底羨ましい。
テレビの中は唯一の楽しい場所
2021年3月に掲載された【イマドキ高校生のなりたい職業ランキング】では、女子高生の第5位に〈芸能人〉がランクインしている。
〈芸能人〉とはいかにも広い括り。
おそらく内訳では〈声優〉や〈アイドル〉の比率が高いだろう。
〈YouTuber〉はここに含まれるのだろうか?
いずれにしても、〈芸能人〉という職業には夢がある。
今から10年前、
10代の頃の自分の夢も〈芸能人〉だった。
岡山の片田舎で生まれながら、「テレビの中の仕事がしたい」と思っていた。
田舎だったからこそ、強く憧れたのかもしれない。
それに学校という場所が楽しくなかった自分にとって(のちに不登校になるし)、テレビの中は唯一の楽しい場所だった。
そんな楽しい場所を意識しないわけがない。
「東京に行けばなんとかなるんじゃないか」
「テレビの仕事も、きっと出来るんじゃないか」
怖さを知らないからこそ、どこか堂々と、その業界へと足を踏み入れた。
20歳で上京したとき、心の中では半分夢を叶えた気になっていた。
限りなく芸能界に近い、普通の場所
ここまで書き進めても一向に今回のブログの趣旨が見えてこない。
『おい、みやもとよ、お前はいったい何が書きたいのだ!?』
という声が、読者よりもまず自分自身から聞こえくる。
言いたいことは、
【芸能人になるという夢を叶えるのは難しかった】ということ。
『当たり前だろ!』と言われそうだが、
実はつい最近まで、難しさの根本的な部分は分からなかった。
↑
(東京で初舞台を踏んだ当時の僕)
はっきり言って、僕の夢は叶わなかった。
10代の頃の自分には酷な話だろう。
なぜ僕の夢は叶わなかったのか……
端的に書くと、芸能界だと思って踏み入れた場所は、
芸能界でもなんでもなかったからだ。
限りなく芸能界に近い、普通の場所だった。
そして自分がいる場所が芸能界ではないことに気付くまで、7年近くかかった。
恥ずかしい……
これこそ黒歴史なんじゃないか。
『なんで7年間も分からなかったの!?』
と、また自分自身に聞きたくなる。
明確なキッカケがあったわけではないが、
7年間、自分なりに活動を続けていて、分かってしまったような感じだった。
「あれ? ひょっとして、僕の夢は叶わないんじゃないか?」
不意にそう思わされるほど怖いものはない。
そう思った時点で、大体は取り返しのつかない状況になっていたりする。
なぜ、自分の夢が叶わないと思ったか……
なぜ、僕のいた場所は〈芸能界〉ではなかったか……
本当に大事なのは、レギュラーになることでも甲子園にでることでもない
〈プロ野球界〉を例に例えてみる。
※これから書く文章で使用する比喩表現は、いずれかに優劣をつけるような意味は無いことをご了承ください
僕の夢が【高卒でプロ野球選手になること】だとしたら、どんな人生を歩むだろう?
順を追って考える。
「プロ野球選手になる」
↑
「ドラフト会議で指名される」
↑
「スカウトの目にとまる」
↑
「甲子園で活躍する」
↑
「甲子園に出場する」
↑
「県大会を勝ち抜く」
↑
「レギュラーになる」
↑
・・・・・・
とまぁ、ざっと考えただけでもこれだけの工程がイメージできる。
よくある王道の、ドラフト1位で指名されるようなストーリー。
でも、
「プロ野球選手になる」ために本当に大事なのは、レギュラーになることでも甲子園にでることでもなく、
“まず硬式野球部に入ること”が大前提としてある。
日本で野球を仕事にするためには硬式ボールで野球をしなければならない。
※『いや軟式野球出身の人もプロ野球選手になってるから!』と突っ込んでくれた野球ファンの読者の方、ありがとうございます。
自分はプロの世界にいるんだと錯覚してしまう
『そんなの言われなくても分かるよ!』と言いたくなるでしょう。
プロ野球なら当たり前の話。
そんな世界で軟式ボールなんて使ってたら、
「やばい、オレ軟式だったわ!!」
と分かる。
プロ野球の世界なら、分かる。
でも僕がいた世界では、
その明らかな違いが分からなかった。
〈芸能界〉という、
硬式ボールが飛び交う世界にいたと思っていたけれど、僕は軟式ボールを投げていた。
世間一般がイメージする〈芸能界〉は硬式野球の世界で、
僕が踏み入れた〈芸能界〉は軟式野球の世界だった。
※あくまで物の例えであって、どちらかに優劣をつける意図はありません
僕がいた場所は〈芸能界〉ではなかった。
「ついさっきまで自分もプロ野球選手の一員だと思ってプレーしていたのに、ふと自分の握っているボールを見ると軟式ボールだった」
なんて、怖すぎる。
でも本当に、そんな感じだった。
軟式ボールだとわかるまでに、7年もかかった。
(気づけなかったのか、気づかないようにしていたのかは聞かないで欲しい。)
野球なら一つのグラウンドで硬式ボールと軟式ボールが交わることはないが、
TVドラマやCM等の撮影現場ではそれが起こりうる。
だから勘違いしてしまう。
自分はプロの世界にいるんだと錯覚してしまう。
自分の隣に、テレビで観ている芸能人がいる。
同じカメラの画角の中で、監督の『よーい、スタート!』の声に合わせて同じシーンを撮る。
……勘違いしないわけがない。
例えギャラが桁違いに違おうと、
例え向こうは運転手付きの黒塗りワンボックスで、こちらは満員電車に揺られる帰り道だとしても、
「今日は◯◯さんと同じ現場だった!」
と意気揚々と家路につく。
あの時はあの時で必死だったから、
自分の全てを否定したくはないが、あまりにも無知だった。
しかし、
今となってはその当時の自分を愛おしく感じられるし、
「良い経験と勉強をさせてもらった」と思うようにしている。
“選球眼”は良くなったと自負している。
あの頃の僕よ
長々と会社のブログページを使って書き連ねたけれど、
当時の経験があるから今があるなと実感している。
Benerootの構成作家として映像制作に携わり、
カメラの前に立つ仕事もできている。
10代の頃に思い描いていた形とは少し違っていたが、
それでも今は確かに、“硬式ボール”を握れているという実感がある。
真剣だし、本気になれている。
あの頃の僕よ……
このブログを読んだとしてもどうか、
『夢は捨てたと言わないで』
※この記事は今日からみやもと個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。